「学問の師、人生の師に多謝」
商大15期 古庄 誠一
私の大学時代は「挑戦」の連続でした。そもそも農家の次男坊ですので一人独立して生活するように育てられました。大学受験でも東京、大阪を調べましたが家の事も考慮して熊本商科大学の経済学部を専攻しました。幸いにして北古賀教授が担任で、経済学研究会の顧問でした。マルクス経済学の研究で「資本論」を読みながら弁証法の研究に興味がわきました。「生成発展の法則」「相対立物の闘争で成長する」「生産と消費」「現象と本質」、「個々の力が結集することで有機的なエネルギーに転換する」等、大学時代は物事の本質を見極める研究の場でした。全国ゼミ発表会で神奈川大学や立命館大学にも出かけました。論文を仕上げるのに先輩の下宿先にウイスキーを持って徹夜しました。当時、北古賀理論と宇野理論と流派があり私には若気の至りで理論武装より肥後モッコスの意地で発表会を乗り切ったようです。
更には、ビジネス人生でバックボーンになったのは資本論の「商品価値の商品体から金体への飛躍は商品の命懸けの飛躍である」(向坂逸郎訳)という言葉です。すなわち。「製品が商品に転化する瞬間に携わっている我々は命懸けで仕事をしなければならないのではないか」と自問自答しながら仕事をしてきました。今日は管理レベルの高度化で「過剰生産恐慌」という言葉も死語のようですが、「新資本主義」が論じられています。
幸いにして、渋沢栄一賞を授与されたスズキ鰍フ鈴木修相談役に永年仕えました。北古賀学長を囲む会に再々出席して近況報告すると「古庄君の話を聞くのが楽しみばい。まあ、飲まんね」とビールを注いでくれました。まさしく、お二人が人生の師であり、仕事の師、学問の師のお蔭で頑張ってこれました。企業人としては主に代理店経営で2輪、マリン、4輪と7会社を担当し「弁証法的経営」としてリエンジニアリングの連続で、「身の丈の経営」に改革しました。弁証法的現場主義を「お客様目線で」実践して事業の再構築に取り組んできました。県外にいると当時は「君は九州男児か!」と外圧に励まされた感じです。無我夢中の学園生活から人生が始まりました。学園に多謝多謝です。