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2022-06-03
シリーズ  ー私の中の熊本学園大学ー@
         「遠い若き日の思い出」
                                  語専5期 塩田一文
 
 私が熊本語学専門学校英語科に入学したのは、今から丁度76年前の昭和21年4月である。当時、終戦後の最初の高等・専門学校の入試とあって、旧制中学卒業生の他、陸軍士官学校、海軍兵学校の復員軍人を始め、外地からの引揚者の学生も含め受験者は多種多様でとても狭き門であった。当時、熊本には、高等・専門学校としては第五高等学校(今の熊大)、熊本工業専門学校(今の熊大工学部)と熊本語専があり、上記二校は国立で立派な敷地と校舎を持っていたが、私立の熊本語専は立田山の麓に山を整地して建てられた今でいう二階建てのバラックで、狭い校内は校舎と校舎との間に段差があり、運動場もなく、全校学生が集る講堂(集会所)もなかった。唯一驚いたことには学校の象徴である帽子が角帽であったことである。角帽は、旧帝国大学の象徴であり、当時は今と違って外出の際には、殆んど帽子をかぶっていたので、これでは東京に行けば、東大生と間違えられると冗談をよく言ったものである。
 ところで、熊本語専の前進は東洋語専で、マライ語科、支那語科、ロシア語科があったが、熊本語専になって、マライ語科は英語に、支那語科は華語科になった。先生方は小柄ながらも威厳のある高橋守雄氏(当時は校長)を頭として、錚々たる先生が多かった。私が一番印象に残っている先生といえば、丸山学教授(後に商大学長で昭和45年死亡)である。復員軍人の陸軍将校であったがとても親しみ易く教授という格式張った所が少しもなかった。或るとき、先生と盃を交し乍ら日本の大学教育のあり方について語り合った事がある。先生はその時、官学と私学についてアメリカの教育制度を例に引かれ、「今からの日本の教育制度は私学を振興させねばいかん。官学のG・I(官給品)教育のみでは駄目だ。官学の学生は粒が揃っていて教育には都合がよいかも知れない。しかし、全てに門戸を解放し、庶民の中に溶け込んだ教育が真の学問であり、私学教育の使命である。今後の日本の教育制度はそうあるべきだしそうなることを信じている」と、それまで長い間、軍国主義的教育の中で培われ幾分封建的な考え方を持っていた当時の私としては、全く意外な気持ちで受け取っていた。しかしこれが、私が大学昇格運動に走るきっかけになったことは事実である。私はそれから先生の御指導のもとに市内の上通熊日新聞社横で「大学昇格運動展開中」という立看板を立て、道ゆく人々に訴えたものである。それは何も恥ずかしいことでもなかった。それに私は若かった。又、映画館の支配人の許可を得て、上映時間の幕合を利用して将来、日本を背負って立つ私立の大学の存在意義を演説したのは、今では私にとって忘れられない大きな思い出である。
 先に志文会から送ってきた志文75号の表紙に写し出された高橋守雄学長の胸像と堂々たる学舎を見るとき、時代の趨勢とはいえ全く隔世の感がある。
今年96歳を迎え、何とか元気にしているが、あの終戦直後の混乱の中での不自由な学生生活にあって共に苦しみ、共に喜び合った旧友も今は殆んど鬼籍に入り、亡き友を偲ぶ老いの寂しさを今更乍ら痛感する此の頃である。(写真は昭和21年入学時、中央が塩田氏)

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